○ 当 稲荷森稲荷神社の御祭神は、
「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」
と申し上げます。
『古事記』では、須佐之男命(すさのおのみこと)と、大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で神大市比売(かむおおいちひめ)がご結婚になってお生まれになった、と書いてあります。
なお、『日本書紀』には、
「倉稲魂命(うかのみたまのかみ)」
と訓む、と記されています。
現在は、「倉稲魂命」と書き表すことが多いようです。  なお、当神社の御末社(拝殿向って右)の御祭神は、「須佐之男命」様です。

 

○なお、「狐」は「お使い」です。神様そのものではありません。
熊野大社の「烏」、春日大社の「鹿」などと同様、「お使い」です。

 

○稲荷森稲荷神社の由緒
稲荷森稲荷神社草創の記録は残っておらず、残念ながら不明です。当神社は古くは「菅刈社」と呼ばれておりました。
江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には、「菅刈社」とあり、「地名を冠するのだから、古い由緒ある社であろう」と記されています。因みに当地は「菅刈庄」といわれていました。

 

明治時代、土地の古老たちは、
 「奥州へ落ち延びた源義経を追って静御前がやってきて、当神社で一夜を明かした」
 と、言い伝えていました。

 

また、当神社は、昭和20年代初めまで鬱蒼とした森でした。雨が降っても神社の境内に入ると傘はいらない、といわれるほどでした。稲荷森(とうかんもり、土地の人々はこのように呼び習わしておりました。)といわれる所以でしょう。現在の神社名は、これによっております。
神社の前を往来する人々、馬方達はしばしばこの森を雨宿りや休憩に利用していたようです。江戸時代の馬方達が奉納した木彫が旧拝殿(元の御神庫、拝殿向って右、瓦葺の建物)に現在も残っています。
前の社務所は、戦争後の物資の乏しい時代に、境内の樹木を伐採し、それを製材して建てられました。また、残された大木も大気汚染などにより次々に枯れ、今では往時の森の姿は想像も出来ません。

 

○ この「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」は、
和銅4年(西暦711年)2月11日(あるいは9日ともいわれる)に、京都伏見の稲荷山の山上三ケ峰に天下りなさった、と言い伝えられております。 その地が現在の伏見稲荷大社です。
また、神様が天下った日が「初午」の日であったので、それに因んで全国の稲荷神社は2月の初午に「初午祭」を行います。

 

当 稲荷森稲荷神社も「初午祭」を執り行っております。(祭典の項をご参照ください)

 

○ この「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」が、何故「いなり」といわれるのでしょうか。また、「稲荷」と書き表すのでしょうか。

 

「山城国風土記」逸文の「伊奈利社」の条に、
秦中家忌寸(はたのなかついえのいみき)達の遠い祖先に伊侶具(いろぐ)という人がおりました。稲をたくさん蓄えてたいへん裕福でした。裕福のあまり奢りたかぶって、丸い餅を弓の的にしました。すると、的の丸い餅は白い鳥となって飛び去り、稲荷山の峰に行き、白い鳥は稲となりました。
白い鳥が稲になったというのを、原文は「伊禰奈利生(いねなりお)ひき」とかいてあります。このことから、「いねなり」から「いなり」という神社の名になった。
と書かれています。

 

また、この神様は翁の姿で稲を荷なって現れたと申します。それで「稲荷(いなり)」という、ともいわれています。


 

稲荷森稲荷神社

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